2022年11月2日水曜日

倉野直子 27歳 子供1人

「はっけよい のこった」
審判の女性の合図で直子は仕切り線を蹴りだし
土俵で対峙する女にぶちかましを浴びせ
相手の女と何発か張り手を打ち合ったあとに
まわしを掴みあって
組み合った

敵として対峙した女の
殺しに来んばかりの圧力と執念感じる
そして
相手の女の息子も
女に声援を送る

だが

土俵のそばでは
愛娘のさやかが見守る
負けられないと思った。

同じように子を持つ母親同士が
裸にまわしのみ身につけた姿で同じ土俵で
相対する。
そしてすぐ傍らに、守るべき我が子が見守る
緊迫感
この重圧で全身の血潮が沸き立つ感じを求めて、直子はかつて自分の母が居た土俵に帰ってきた
直子は相手と組み合いながらそう感じた。

相手の女と必死に組み合いながら
右に左に身体を揺さぶり

互いに
自分の得意の形へ
持っていこうと
探り合った

そして
また
直子は相手と両肩を合わせて
こんどは身体を前後に揺らし

かつて、母親のさとみが得意とした
誘い込みで
相手の女の間合いを外しを土俵に沈めた

負けた女の息子は涙を流しながら土俵を見つめる中

直子は勝ち名乗りを受け

白い服の審判の女性から
懸賞金の封筒を受け取り

土俵を降り、封筒を手に娘を連れて
自動販売機に向かった

封筒をビリッと破って
娘の大好きなりんごジュースを買ってやると
勝った快感、そして
守るべきものを守り抜いている充実感に
心が躍るのを感じた。

そして
娘をみて小学生のころの自分を思い出し
また、母との幼き日の思い出にひたるのであった。

直子は子を持つ母親にしか許されない土俵の最初の一番を務め終えた。

自分の母、戸坂さとみも
勝ち名乗りを受けたあとはこんな感じだったのだろうか

そして
今日の参加者8人との総当り戦形式の
7番の相撲を取り終え

3勝4敗で初めてのママさん相撲の大会を終えた。

初めてママさん相撲の大会に参加して
負け越した悔しさはあるが
ものすごく心の底から充実した
ものを久々に感じる自分を
直子は感じた。

そして娘と観客席で黄昏ていると
「直ちゃん、お相撲はじめるん?
うち入って欲しいわ。
取り口があんたのお母さんとそっくりで
審判しながら見てて
なんか嬉しかったわ」
と声がした
取り組みで白い服を着て審判を務めていた女性が
私服に着替えて
最初の対戦相手の女と立っていた
相撲に夢中で気が付かなかったがその白い服の女は直子の母親仲間の
吉村さおりだった
子供の子供会つながりで
参観日や保護者も集まりでたまに話す程度だったが
まさかママさん相撲にも参加していて
母のさとみの知り合いでもあったとは
世間は狭いと直子は思った。
「うちの母をご存知だったんですか?」
「ご存知もなにも
すごい有名な人やからな
今までもそっとしとこ思って
知ってたけど言わへんかってん。
あんたのお母さんの引退相撲もお相撲とってへんけど
うちの前の監督に着いて行ってたし
それまでも2回、お母さんと対戦したこともあったんよ
引退しはる間際で盛りすぎてて
一勝一敗やったけどな
なあ、直ちゃん、
もしこのお相撲始めるんなら生駒でやらへんか
横におる亮子も
直ちゃんと是非もっとお相撲したい言うてるねん」
「私も亮子さんともっと勝負したいと思ってました。」
「なら!うちきいや。
練習でも大会の個人戦でもいっぱい
亮子と勝負できるで
あと、うち、直子ちゃん入ってくれたらちょうど5人になるから
いきなり団体戦に出れるで
あんたのお母さんとこやとこうは行かれんやろ?
な、入ってや」

直子は
山城クラブ内での団体戦メンバー争いの厳しさを思い出した。

「それはすごく魅力的ですね。
是非、もう少し考えて決めさせてください」

それから
いろいろ考えながら
直子はさおりに
陸上競技との掛け持ちのことなど
いろいろ相談した末に
生駒クラブへの加入を決めた。

初めての土俵で激しく火花を散らした 
薬師寺りょうことは
土俵では無二の親友のように仲良くなり
それからも土俵にあがると
ライバルとして
練習や個人戦では激しく火花を散らして競い合い高め合う間柄となり

亮子とふたりで練習や個人戦での激しい取り組みなどで鍛えあった結果
生駒クラブは奈良県内では
時折
団体戦で一強状態だった
若草クラブに勝って 
全国大会に出ることが起き始め

個人戦でも
亮子と直子が決勝戦などで優勝を争ったりするようになり 
焼津クラブや二色浜クラブや大阪古市クラブなど
全国の強豪クラブとも
互角以上にたたかえるまでになり

大阪に近い事で人数
を揃える事も苦労していた
生駒クラブを一躍、全国区に押し上げる存在になって行った。

そして
今まで
姉のように慕っていた山本レオナや
山城クラブの面々とも
とある大会の個人戦で直子がレオナに勝ってから
ライバルとして激しく意識し合うようになっていった

そして
いろんなところで
母である戸坂さとみの話をされ

母の偉大さに驚いていくことになるのだった

さとみは
国の少子化対策の専業主婦であることを
条件とした給付金政策が始まると
仕事を辞め、専業主婦になった
やがて、ストレス発散や美容目的などで相撲を始め
京都を代表する
ママさん相撲の選手になった。

そして直子が小学校高学年になる頃には
ママさん相撲の競技参加者の出生率の良さを喜んだ国や自治体が競技参加者への給付金の割増や
各一番の勝利者への懸賞金の配布を始めるようになった。
これでお金目的の参加者が増えるに比例して
組み合って力比べや押し合いが主流だった
ママさん相撲でも張り手やぶちかましが増えるようになり
より格闘技のようなな雰囲気が時に
土俵のまわりに流れることも増え
取組後のさとみの身体も
赤く腫れることが多くなった

さとみは
高学年になっても
時折
大会の日には
会場に顔を出した

さとみは調子よく
相撲に買っていると
景気よく懸賞金の封筒を何個か一度に直子にくれた
そのお金は直子のすごくイイお小遣いになった

まわりにも
母親の相撲を見に行く理由を
表立っては
お小遣い欲しさと
話していたが 

本当は
ママさん相撲の土俵に臨む母親の姿が
大好きで
高校生にあがって、さとみがママさん相撲を
引退するまで
部活がない日などは時折
さとみの相撲を見に行き続けた。

直子は相撲に励む母を見て
女子相撲を始めようか考えたが

母親への照れなどもあって
結局
中学からは陸上の短距離種目を始めた

たまに家で母親と相撲をとっていたり
したこともあり
出だしなどのスピードに強くなり
高校生で国体に出たこともあった。

そのときは
同じくママさん相撲で国体に出たこともある母親との親子鷹として
新聞の記事になったこともある。

そして

大学を卒業し社会人になっても
学生時代から続けてきた陸上の200メートルは続けてきた
たまに開催される社会人のアマチュアの大会にエントリーし
これに向けてトレーニングに励む

そのトレーニングの一環として
母親のツテでママさん相撲の練習にも
大会のない時期に参加している。

母は山城クラブでかつては全国大会の常連選手で監督も勤めた、ママさん相撲の名選手で
一時期は低迷したクラブを総監督として建て直した
ママさん相撲の名指導者としても
界隈では名を轟かせた

そして
その母親の愛弟子で
姉のように慕う山本レオナらと
相撲の練習に励み
相撲の実力も
クラブのエース格のレオナやきみかと互角に渡り合えるまでになり
「直子に子供がいてたら
エントリーさせて
大会に出させられるのになあ」
レオナから

こぼされるほどに実力をつけた

でも
直子からすると

相撲の立ち会いの瞬発力や闘争心などが
陸上競技のスタートなどに活きるので
そのために練習に参加している 

そんな程度のつもりだった

未婚ではあるが 
直子も周りの既婚女性たちと同じく
裸にまわし姿で相撲をとる

そんなあるとき
直子は兼ねてより交際してきた会社の男性と結婚し
奈良の生駒市に移り住むことになった。

結婚後もしばらくは
同じように
陸上競技の傍ら
山城クラブの練習にも参加していたのだが

やがて子供ができると
給付金政策により仕事を辞め
専業主婦となった

そして
陸上競技の大会にも折を見て参加し続ける傍ら

たまたま
家にあった
廻しを久々に締めこんでみて思い立ち
生駒市の小さな大会に参加したのをきっかけに
直子も母と同じくママさん相撲の世界に身を投じていくことになった。

最初に練習相手になってくれた夫のケンヤは
そんな直子に最初は戸惑ったが 
次第に直子の相撲に理解を示して応援してくれるようになった
また
妻と共に裸にまわし1枚の姿で練習相手として直子と相撲をとる時男である自分が女の直子に相撲で負けて悔しくて
本気で直子との相撲を取るようになり
普段の日々の営みとはまた違う形で
妻と肌を合わせてから 
日々の営みに入る流れに
性的な快感を覚えるようになり

また、相撲の美容効果で
日に日に美しくなる直子の虜になり

また、人間として互いに信頼関係がより深まり

倉野家は
永く夫婦円満を築いていくことになった。



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