火曜日の午後
カルチャーセンターの一室は
裸に廻し姿の女たちの熱気がこだまする
そして
申しあいなど実践練習の時間になると
この部屋の2面あるウレタンマットの土俵では
そんな裸にまわし姿の女たちが
激しく身体をぶつけ合い、
打撃系の格闘技と見紛うかのような張り手で牽制しあい
渾身の力で組み合うなどして
激しく相撲を取り合う
彼女たちの多くは
国の少子化対策を旨とした専業主婦に対する給付金政策で
「専業主婦」となり
より豊かな暮らしを夢見て
「ママさん相撲 」
志す女性たちだ
もともとそんな「専業主婦」の女性たちの間でエクササイズとして
流行り始めていた
裸で相撲などを取る事を仲間うちなどでやっている女性たちの
妊娠出産に至る確率の高さに目をつけた
国の少子化対策委員会が
「ママさん相撲 」
として
日本相撲連盟や日本相撲協会などと協力しながら
競技化し、普及促進を押し進め
そのなかで
クラブに加入するなどして競技者登録した、あるいは
公式大会に参加する専業主婦の女性に対する給付金の割増給付
このママさん相撲を通して得られる
様々な褒賞金などを得て
より豊かな暮らしを手にし
我が子により良い教育環境を与えたい
と
願う
「専業主婦たち」
その練習は一般的に
所属クラブ
或いは
クラブに入れなかった者は
スポーツジムの女性専用の相撲講座などで
行う
練習の最初こそ和気藹々とした空気であるが
同じクラブに所属する主婦仲間といえど
同じ土俵に上がってしまえば
互いにどちらが勝つか負けるかの敵同士であり
同じクラブ内であればこそ
団体戦メンバーの座や
団体戦メンバーのなかの大将や勝負を左右するポジションを争い合うなど
よりお互いに負けられない間柄となることが
多くある
なので
クラブの練習中のほうが
公式大会よりも取り組みが白熱するということもよくある
団体戦メンバーのほうが
そう出ないメンバーより2倍近く多くの割増のお金を貰えたりするのも大きく絡んでそうなりやすい。
また
団体戦のあとの個人戦となると
ほぼ全員参加で
初戦あるいはどこかで同じクラブのメンバー同士での対戦になることも多々あり
そこに向けた互いの対抗意識も作用し
そのクラブの強さや雰囲気の高まりに比例して
練習中の土俵は
大きな大会が近づくにつれ
白熱することが多く
そうなると
互いの激しい張り手やぶちかましなどで
身体や顔を赤く腫らした状態で、相撲クラブの練習後に保育園などに子供の送迎に行く女性も多く
大会が近づくと
ママさん相撲が盛んな地域の保育園や学習塾では
だれがママさん相撲をやっている母親か
一目瞭然になることも多い。
沢良宜ゆうこも
そんなママさん相撲に参加する
専業主婦の1人として
大阪の枚方相撲クラブで競技生活を送っている
ゆうこは夕食の下ごしらえまでの家事を足早に終わらせ
自ら運転する車で
市が運営するカルチャーセンターに向かった。
そして
更衣室で着てきた衣服を脱ぐと
一糸まとわぬ自らの裸体を鏡に映して
全身の状態を確かめながら
気持ちを高める
このカルチャーセンターでの、この
ママさん相撲を始めてから10年以上
年月を経ても若々しい肌ツヤからくる
見た目より一回り以上若く見える容姿を保ち続け
夫からも結婚して何年経っても積極的な誘いを受け続け
いまだに夫婦仲は昼も夜も良好な間柄である
その結果
上の子は大学2年生
下の子は
まだ保育園の年少組という
真ん中の子は来年中学生
という
兄弟姉妹構成にもその夫婦仲の良さが現れている
そしてその裸の姿に
専用の穿き込み式の廻しを穿き
各部のベルトをキツく締め込み
まだだれも居ない一室に入っていった
2面の土俵が描かれたウレタンマットの部屋で
摺り足や四股など
相撲の基本動作に黙々と取組む
ゆうこがこれを始めたきっかけは
入ったばかりの頃の
ゆうこはまだ身体が弱く
練習でも試合でもなかなか勝てず
団体戦のAチームのメンバーにも入れず
Aチームメンバーは
個人戦でも団体戦でも活躍して
大会の副賞で新車を貰ったり
高級な電動アシスト自転車を貰ったり
はたまた
テレビやラジオや有名YouTuberのYouTubeに
華々しく出演している姿にほぞをかむ日々が続いた
Aチームのメンバー入れない自分と
Aチームのメンバー入りしている同じクラブのライバル達との差をどのようにして盛り返すのか
そのとき
考えついたことのひとつが
この早出の自主練習だった
また
この地道な積み重ねがひ弱だったゆうこの
足腰を丈夫なものにし
これに続くように
早めに出てきて練習を始めるメンバーも増えてきた
ゆうこと同い年で
同じ日に枚方相撲クラブに入った
沢木ゆみこもそんなひとりだ
ゆうこは
ママさん相撲を始めたばかりの時
クラブへの会費や大会参加のための交通費や参加費が嵩み
そして
大会では個人戦でも
BチームやCチームで参加する団体戦でも
勝ち星をなかなかあげられず
家計の足しにするために始めたはずの
ママさん相撲で
なかなか
結果を出せず
思ったほどお金も稼げずにいた
また
同じ日に始めたゆみこが
早くから頭角を表し
Aチーム入りを果たしたりする姿を
苦々しい気持ちで見つめていた
また上も下も名前が似ていることもあり
監督ら先輩たちから呼び間違えられて
悔しい思いをすることも多かった
そして
土俵の上でゆみこと対決しても
じょばんの張り合いでバランスを崩されて負け
どうにか組み合いに持ち込んだとして
絶妙なタイミングで
間合い外して転がされ
土俵に転がされる
同じ年齢で
同じ体格で
子供の年齢も同じくらいなのに
いつも
ゆみこに分があがる
そして
いつもゆみこが
Aチームに選抜され
自分は
クラブ方針によりサポートですらないものの
5人すら揃わないことのある
明らかに優勝を目指した編成ではないチームで
団体戦に出場する
第一ゆうこが
練習でも試合でもほとんど勝てていない
そんな悔しい日々をどうにか終わらせたいと
思ったゆうこは
家事をとにかく早く終わらせ
1番早く練習の土俵に入り
さまざまな摺り足や
四股を中心とした自主練習を
始めるようになった
すると3ヶ月続けると
取組中に軸がぶれなくなり
少しずつ練習でもクラブの仲間との相撲に負けなくなり
公式戦でも勝ち星が増えていった
そして
夫にも就寝前に
すこし練習相手になって貰うようになった
そして互いに裸で向き合いながら
あらためて妻であるゆうこの裸体の美しさに魅了された夫から
積極的に誘われるようになり
女としての自信も相撲の強さに結びつくようになり
さらに勝ち星や実績を伸ばしていき
時折
ライバルのゆみことの対決でも
絶妙のタイミングの突き押しや組み方の変化も
身についた落ち着きで先読みできるようになり
やがて ゆみことの立場も逆転していった
Aチームにも名を連ねることが増え
その当落線上をゆみこと競うことが本格的に増え始め
まさに公式大会前最後の団体戦1枠を争うかのような
申し合いでは
なかなかゆうこが崩れないことに業を煮やした
ゆみこが不必要に顔付近に
何発も張り手を入れてきたことに
ゆうこが怒って
喉輪をつかんでゆみこを土俵に外に押しだし
取り組み自体はゆうこが勝ったのだが
怒りの収まらないゆうこは
ゆみこの頬を平手でビンタし
ゆみこも応戦し
取っ組み合い寸前までエキサイトしたことがあった
その大会では団体戦Aチームメンバーはゆみこに決まったが
個人戦では怒りのままに勝ち上がったゆうこが
ゆみこと対戦し
ここでもゆうこがゆみこを気迫の相撲で下し
勢いそのままに
初めての個人戦優勝を果たし
遅咲きの大阪チャンピオンとして全国大会に
出場した
ゆうこにとって飛躍の大会となった。
その後は
枚方クラブ内でもAチームに当然のように名を連ねるようになり
ゆみことともに
枚方クラブの躍進に貢献し
強豪の古市クラブと2強時代を築いていった
そして
土俵の上での激しいライバル関係は継続しつつも
ゆみことゆうこは
互いの子供の入学や卒業などの門出の際には
祝いの金品を送り合うようになり
ゆみこが懐妊し
産休明けの復帰の際には
復帰の際には
その年に出産した母親同士の
白相撲大会に向けた練習相手やその他のサポートを行い
またゆうこが妊娠した際にも
同様に
ゆみこがサポートを行い
両方とも
白相撲で優勝し
それを互いに我がことのように喜んだ
ゆみこの関係は
嫉妬しあいながら競い合う関係から
競いつつも支え合う関係に変化していった
それゆえ
40近くなっても
大会、練習問わず
2人の対戦になると
激しく張り合い
組み合い
壮絶なまでの取り組みになることがが多い
そのおかげで
古市クラブの森田りなや
門真クラブの
赤田さちこと並んで
ママさん相撲界の浪速の四天王
として
全国に名が知れ渡ることになり
これまでは経験のためにとりあえずエントリーする以外は
特になんの施策もなかった
Bチーム以下のメンバーにも積極的に指導などを行なったりするようになり
クラブ全体の雰囲気も明るくなっていった。
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